DO TRUST OVER 60

この際「耳順」や「従心」を迎えたイイ感じのオーバー60ジジイを讃えよう!!のコーナー

世界的指揮者・ウィーン国立歌劇場音楽監督
1935年、中国のシャンヤン(旧・奉天)生まれ。幼い頃からピアノを学び、桐朋学園斎藤秀雄氏に指揮を学ぶ。1953年にフランスのブサンソン国際指揮者コンクールで優勝。ベルベルト・フォン・カラヤンに師事した後、1961/62年のシーズンには、レナード・バーンスタインのもとでニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務めた。トロント交響楽団サンフランシスコ交響楽団音楽監督を務めた後、73年にボストン交響楽団音楽監督に就任。アメリカ国内はもとより、オーケストラの評価を国際的にも高めた。またヨーロッパでの評価と人気も絶大なものがあり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ロンドン交響楽団などを定期的に指揮しており世界的指揮者としての活躍を続けている。オペラの方面でもパリ・オペラ座ザルツブルグミラノ・スカラ座ウィーン国立歌劇場にしばしば出演し絶賛を博している。サイトウ・キネン・オーケストラを率いてフェスティバルの開催等、活躍の幅はさらに広がりを見せ、1992年から国際的音楽祭“サイトウ・キネン・フェスティバル松本”を開催し注目を集めている。2002年秋からウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。

映画監督・アニメーション作家。
1941年、東京都生まれ。学習院大学哲学科在学中は児童文学研究会に所属。卒業後、東映動画に入社。『アルプスの少女ハイジ』などで、原画やレイアウト、脚本構成まで幅広く活躍。初の演出作品となったTVアニメ『未来少年コナン』から、そのたぐい稀なる作家性を前面に押し出しはじめる。1985年、アニメーションスタジオ・スタジオジブリ設立、数々のアニメーションを発表。代表作に『ルパン三世カリオストロの城』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』などなど。2001年には東京三鷹に、三鷹の森ジブリ美術館を開館。館内でのみ放映されるアニメーション作品もある。「もうひとつのナウシカ」であるアニメージュで連載された『風の谷のナウシカ』コミック全7巻も年々読者を増やしている。こちらはマンガでのみ語りうる方法で自身の哲学、社会学民俗学観を反映させ大変「濃ゆい」ものとなっている。埼玉県所沢市在住。ちなみに「トトロ」のネーミングの由来は所沢からきているという。最新作は、『ハウルの動く城』。

臨床心理学者・心理療法家・文化庁長官・フルート奏者。
1928年兵庫県生まれ。臨床心理学者。京都大学名誉教授。京都大学教育学博士。2002年より文化庁長官。 1952年京都大学理学部卒業後、アメリカ留学を経て、スイスユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を取得。 日本におけるユング分析心理学の理解と実践に貢献。1982年『昔話と日本人の心』で大佛次郎賞、1988年『明恵 夢を生きる』で新潮学芸賞。 その他『中空構造日本の深層』、『とりかへばや、男と女』など著作や論文は多数あり。 近著として『ナバホへの旅 たましいの風景』、『臨床心理学ノート』、『神話と日本人の心』などがある。 故小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会の座長、教育改革国民会議委員、文部科学省顧問をつとめるなど、日本の政治、教育に幅広く貢献している。 1995年紫綬褒章受賞、2000年文化功労賞。

北里大学大学院教授・東京大学名誉教授。
1937年生まれ。神奈川県鎌倉市出身。栄光学園高校、東京大学医学部卒。東京大学にて解剖学者として任官。脳関係の解剖体験や脳外科的見地から、どういったことを人は考えて、それはどう現代社会に影響しているか?また、逆に現代社会がどういったことを脳に影響を及ぼし人は脳で何を考えるか?ということを発端にして、人が現代にて何を考えて、考えることでどうなっていったか?いくか?を著作にてあらわしている。本人曰く「繋がっている」と言うマンガ・アニメ・ゲーム・昆虫採集など多彩な趣味をもつ。2003年に出した『バカの壁』が大ベストセラーに。

作家・脚本家。
1934年東京都生まれ。早稲田大学教育学部国語国文科卒業後、松竹大船撮影所演出部に勤務し、木下恵介のもとで助監督をつとめる。65年に独立し、テレビドラマの脚本家に。『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『早春スケッチブック』『ふぞろいの林檎たち』など数々の話題作を送り出す。88年、小説『異人たちとの夏』で山本周五郎賞を受賞。他にも『飛ぶ夢をしばらく見ない』『丘の上の向日葵』『君を見上げて』『彌太郎さんの話』など著書多数。さらに、エッセイの執筆や、舞台の脚本を手がけるなど多方面で活躍中。

マンガ家。
1922年鳥取県生まれ。43年に兵隊へ召集されラバウルへ赴き、戦闘中の事故で左手を失う。46年に復員後、武蔵野美術学校卒。紙芝居作家、貸本漫画家などを経て漫画家となる。57年、単行本『ロケットマン』でデビュー。『ガロ』などでの作品発表を経て、65年より『テレビくん』(少年マガジン)の連載を開始しヒット、66年に同作品で第6回講談社児童漫画賞受賞。これを境に、『ゲゲゲの鬼太郎』、『悪魔くん』、『河童の三平』などの人気作を描き続ける。88年、『昭和史』で第13回講談社漫画賞91年、紫綬褒章、96年日本漫画協会賞をそれぞれ受賞。主な作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』『昭和史』など。

哲学者・評論家。
1922年東京都生まれ。鶴見祐輔の長男。社会学者である上智大学名誉教授の鶴見和子は姉。中学で2度の退学処分後渡米。19歳でハーバード大学を卒業。専攻は哲学(プラグマティズム)。42年に捕虜交換船で帰国後、海軍軍属として従軍。戦後は京都大学助教授、東京工業大学助教授、同志社大学教授を歴任。46年都留重人丸山真男らとともに『思想の科学』を創刊。60年安保時には「声なき声の会」を、ベトナム戦争時には小田実らとともに「べ平連」をつくる。著書に『鶴見俊輔集』(筑摩書房)『鶴見俊輔座談』(晶文社)など。

工業デザイナー。
1915年東京生まれ。柳宗悦、兼子夫妻の間に、三人兄弟の長男として生まれる。1934年、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に入学。その頃、民藝への反発もあり、当時の前衛芸術に強く影響を受け、現代デザイン思想発祥の地であるバウハウスなどに大きなショックを受ける。そしてフランス人建築家、ル・コルビュジェの「現代の装飾芸術」を読み、装飾のないところに真の装飾があるという概念に、その後の宗理デザインに大きな影響を与えた。日本の住居環境に合わせてつくられた椅子『バタフライスツール』をはじめ、照明、オート三輪、陸橋、オリンビックの聖火台まで幅の広い仕事を見せ、ニューヨーク近代美術館ルーブル美術館、ポンピドーセンター、ヴィトラミュージアムなどには作品が永久保存されている。

数学者・評論家。
1923年東京生まれ。京都の三高を出て東京大学数学科へ。北海道大学で助手をつとめ、京都大学へ。現在退官され、京都大学名誉教授。若くして、宝塚、歌舞伎、長唄など多様な文化に触れ、文化的な素養を身につける。教授時代は数学の専門はもちろん、数学教育を含むさまざまなことをユニークな視点で評論している。また、テレビ出演やCM、エッセイの発刊や文学書の編集など多様な分野で活躍している。著書に『ものぐさ数学のすすめ』『現代の古典解析』『数学と文化』ほか多数。

建築家。
1941年大阪生まれ。17歳のボクサーデビューの後、放浪の旅を経て独学で建築を学び、1969年事務所を設立。1979年日本建築学会賞を受賞し注目される。その後、「六甲の集合住宅」で住宅として初の日本文化デザイン賞、さらにフランス建築アカデミー金賞、アーノルド・ブルンナー賞、日本芸術院賞アルヴァ・アアルト賞などを受賞。エール大学、コロンビア大学客員教授。97年から東京大学教授、のち名誉教授に。現在、東京・表参道の同潤会青山アパート建て替えプロジェクトにて設計を担当。