2004-10-20

本屋にて。



タモリのTOKYO坂道美学入門』。前書きが読み応えがあっておもしろい。文庫版のQBB『中学生日記』の水道橋博士のあとがき以来の名文。
坂道選定のポイントは主に、いい湾曲・カーブ具合かどうか、歴史のあるものかどうか、らしい。自分としては特にカーブには惹かれず。それはさておき東京の色々な細かいところを歩いていることに驚く。自分も地図片手にけっこう色々なところを歩いて散策してる自負があるけど、何ヶ所かは知ってる場所はあったものの、けっこう知らないところばかりだった。こんなにマニアックな本なのだから、一般層を意識したような、毎度坂道紹介の後に続く、おそらくタモリさんが全く関わってなさそうな喫茶店やデートスポット情報は余計な気がした。どうせやるならタモリさん一色の本にしてほしかった。



表紙が『ハウルの動く城』の「DVDぴあ」。発行は10月20日とある。しかし監督のインタビューはなし。鈴木敏夫プロデューサーへのインタビュー。
宮崎さんの作風は『紅の豚』以降変わったという話。『豚』で自分の好きなことを作品にしはじめたとき、鈴木さんが発した「なんで豚になったんでしょうか」という問いからあのような話になったという。そして『もののけ姫』で、ストーリーを最後まで完成させずに、アニメの製作と同時進行的につくっていくという異例の映画づくりの方法をとるようになった。この方法は続く『千と千尋の神隠し』でも同様の製作スタイルがとられ、その結果、以前までの宮崎監督の娯楽作品的手法(起承転結・カタルシスや大団円)でつくられたアニメーションとは一味違った、「物語の放棄」とファンの間でも異論を呼んだ、『もののけ』や『千と千尋』が生まれたのだという。この作風が変わったけっかけとなった『もののけ姫』について、以前(またも)立ち読んだ竹熊健太郎さんの『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』(イーストプレス)所収の「宮崎駿という奇跡」という章において、

「宮崎もまた『もののけ』で「テーマの絵解き」に陥ってしまったか、と感じたからである。(中略)もちろんテーマは重要だが、それだけで済むならプラカードに主張を書いてそのへんをねり歩けばよいのであって、作品にする意味はない」

と評している。しかし竹熊さんは『千と千尋』は好きで何度も見たという。そのことについて、映画にとってストーリーは音楽に対する歌詞のようなもので、重要なのはそのときそのとき感じるリズムや流れであると言える、全体で一貫して辻褄やバランスが合わなくとも、シーンごとに観客を楽しませてストーリーを進めていく、そういう風にして『千と千尋』を楽しんだという。確か。このエッセイは、より大きな流れの中で物語っていくことのできるテレビアニメシリーズを作ることを宮崎監督に強く希望して終わっている。長い引用になったけれど、この「DVDぴあ」の鈴木プロデューサーへのインタビューでも同じことが言われていて、さんざんエンターテインメント作品をつくってきた宮崎監督だからこそできた、常道からはみ出るようにして生まれた手法によって作られた、この新しい作品『ハウルの動く城』を楽しんでほしいとあった。帰りに寄ったローソンの『ハウル』が表紙の冊子を見るが、これも鈴木プロデューサーへのインタビューのみ、監督の写真さえなし。なぜに。



普段行かない地元の書店のコミックコーナーで。ひと通り店内を回ってそのマンガ好きっぽいセレクトに驚く。
まず戸田誠二さんが平積み。そしてサンプルとして読めるようになっているマンガが少し設置されていて、そのうちの2冊が、こうの史代『夕凪の街』(今見たらAmazonで売り上げ49位)と山田玲司『絶望に効くクスリ』。都心のお店でもヴィレッジ・ヴァンガードでもない、一郊外書店なのに。一瞬「おれに?」と思わずにいられないチョイス。甘んじて立ち読む。『絶望に効くクスリ』は、『Bバージン』以来山田さんのマンガを読んでなかった人にはゼヒ読んでほしい。読めたのは1巻で、はじめに山田玲司さんのこれまでのマンガ人生の苦闘を振り返り(おもしろい、というか痛い【notイタい】)、「アニキ」と呼ぶ仲のみうらじゅんさんとの対談(山田さんから見たみうらさんという意味も含めおもしろい。)、『SLUM DUNK』からの付き合いで「タケ」と呼ぶ仲の井上雄彦さんとの対談(井上さんの人物像、周辺マンガ家仲間話などおもしろい)などなど。ぜひ2巻も読んでみたい(買えばいいのだが)。